朝日連峰 古いパンフレットは語る

2020年12月30日

国立公園 朝日連峰

数年前のことです。古い朝日連峰のパンフレットを見せていただく機会に恵まれました。「大朝日岳山頂の避難小屋は、さて、何代目なのかな?」という私の疑問に応えて、Aさんが「宝物なんだけど。」と言って取り出したのがこのパンフレットでした。そこには初代らしき山頂避難小屋の写真が写っています。パンフを配ったのは朝日町、大江町、白鷹町。ただし、いつ配られたたものなのかがわかりません。ぱっと見で昭和30~40年代だと思いました。後日、謎を解明するため、パンフの写真も撮らせていただきました。わかったことがあるのでご報告します。

朝日連峰概念図

パンフにはセメントで固めたような平屋の山小屋が写ってますよね。この小屋、私は1982年まで利用していた記憶があります。その後、2回建て直しを行ってますから現在の小屋は三代目になります。ただし、初代の小屋の脇にはこれまた「粗末なコンクリの箱のようなものが残ってたなあ。」と記憶してますので、それが真の初代の小屋だとしますと、実はパンフの小屋は二代目なのかもしれませんね。さて、それはさておき、このパンフはいつのものなのかです。概念図をよく見ると、竜門小屋や狐穴小屋がありません。まずは、このあたりを手がかりにしてみます。しかし・・・

朝日連峰のあらまし

ネットでは竜門小屋や狐穴小屋の建設年月日は突き止めることが出来ませんでした。そこでパンフの「朝日連峰のあらまし」の文面を読んでみます。「昭和25年に国立公園の指定をうけた」とあるので、パンフはそれ以降のものになります。また、大朝日小屋の宿泊料金は右肩上がりで増えて現在は1500円です。1981年に私が利用したときは500円で、1974年のアルパインガイドによると200円です。パンフでは100円とありますから1950年~1973年で間違いないでしょう。でも、これでは大雑把すぎますよね。さて、なんかほかに手がかりはないでしょうか。やや、「朝日連峰のあらまし」には朝日鉱泉に2件の宿がありますよ・・・

そこで「いでゆ」のページにいきます。古寺鉱泉は近年まで営業が続いていましたね。なになに下山鉱泉?聞いたことないな。さっそくネット検索をして隅から隅まで見てみました。しかし、下山鉱泉の情報は乏しく、その後どうなったか、さっぱりわかりません。そして朝日鉱泉は西澤信雄氏がナチュラリストの家として引き継いでいますが、その昔、昭和40年代までは2件の宿があり、繁忙期には300名を超える宿泊客で賑わっていたと書かれていました。登山客、釣り客、山仕事といろいろあったようです。現代の遊ばされアウトドアブームじゃなく、SUVも車も使わず、ごく自然にみんな山遊びしていたみたいですよ。それはさておき、まだ、絞り込みが出来ません。しかし、朝日町の「町報あさひ」がネット閲覧可能でしかも、昭和20年代のものまで見れることがわかりましたので、ここからはこれも手がかりにしていきましょう。

バス路線図

バス路線図を見てみます。荒砥(白鷹町)や左沢(大江町)より宮宿(朝日町)が朝日の連峰の玄関のように見えます。それはさておき、え、柳川から古寺に森林軌道がありますよね。人も乗せましたが、木材の運搬に使われ営林署のものだったはずです。かなり前に廃線になり、今は「神通峡」の遊歩道になってます。東北森林管理局のHPによれば、廃線になったのは昭和42年つまり1967年でした。つまり、パンフはそれ以前ということになります。

上郷ダム

パンフにはなぜかダムの写真がありました。おお、これは上郷ダムです。東北電力が当時東北一の発電出力のダムを最上川に造ってしまったんですね。「町報あさひ」では電源の町になったと誇らしげに記述しています。使っている写真も大変よく似ていました。アングルも付近の様子も似ていて同時期でしょう。完成は昭和37年です。ということは、このパンフは昭和37年つまり1962年以降に作られたはずです。さあ、私は次なる情報はないか、1962年以降5年分の「町報あさひ」を丹念に読んでみました。

町報あさひ
パンフレットの写真

すると、パンフに使われている上の写真が、昭和39年つまり1964年7月の「町報あさひ」で「注意しよう夏山登山」の記事に使われているのを見つけました。ダムの写真やこの写真を広報で使っているということは、白鷹町や大江町も名を連ねていますが、朝日町が主に筆を握っていた可能性が高いです。また、「町報あさひ」を読み込みましょう。

町報あさひ:脚光浴びる朝日連峰
パンフ

はい、あの朝日山頂小屋と同じ写真が昭和37年12月の「町報あさひ:脚光浴びる朝日連峰」に建設された旨の記事とともに使われていました。町報は閲覧は出来ますが、コピーは出来ませんので上の写真にはぼかしと若干の加工を加えてあります。はい。これで、だめ押しですね。きっと朝日町の方がおそらく50年近く前に作ったものなのでしょう。はっきりした期日は出せませんが、1962~64年と推測しました。

調べてみての感想ですけれど、国立公園への指定をうけて以後、朝日連峰を取り囲む地域は連綿と環境保護や登山マナーの向上に向け地域を挙げて取り組んできました。市民登山の規模なんて今より大きかったようです。また、町外の登山者を集めることへの関心も高いようでした。大朝日岳へのメイン登山口は当初は白鷹町、次に朝日町へと移っている時代でした。町報の読者投稿記事などには熱気が感じられるのでした。今は登山者が多いのは大江町かもしれません。西川町も駐車場整備に邁進しています。今に始まったことではありません。最近になって登山ブームが訪れたとか環境保全が叫ばれ出したとか・・・そんなことはありません。アウトドアメーカーがブームを演出してるだけに思えます。遙か昔(50年前ですけど)も、身近な自然は愛され、その自然と深くと関わって生きていたように思われます。

現在の大朝日岳山頂の山小屋

ほかにも「町報あさひ」には「今月の山仕事」という連載記事や「出稼ぎ」関連の記事がありました。社会の変化を感じさせます。しかし「過疎」「嫁不足」「学校や子供のしつけ」の記事も豊富で「半世紀以上、何も変わってないぞ。」と驚きました。オフシーズンですから、地域の図書館にでもいってみましょうか。また、何か発掘してみたいと思います。ではまた。